里に戻るなり、木の葉病院の処置室へ大至急向かった。

部屋には既に綱手様や数人の医療班の先輩達が待機していて、カカシ先生の到着と同時にすぐさま緊急治療が行われる。



「師匠・・・、私・・・」

「よく一人で頑張った。後はアタシ達に任せな」

「・・・よろしく・・・お願いします・・・」



ブゥゥーーン・・・

凄まじいエネルギーがみんなの手から放出され、惜しみなく先生の身体に照射される。

途轍もないパワーを秘めたチャクラに圧倒され、立っているのがやっとだった私はよろめくように後退りしてしまった。



一分・・・。二分・・・。

どのくらい時間が経過したのか。



緊張の糸がぷつりと切れて、目の前で繰り広げられる治療を、半ば抜け殻のようにどこか遠い目で眺めていた。

全てが夢の中の出来事のようだ・・・

もしたしたら、これは映画かお芝居の一場面なのかもしれない・・・

ああ、そうだ。きっとそうだ。私はお芝居を見ているんだ・・・

みんなで私を脅かして、陰でこっそり笑ってるんだ・・・





「これは・・・!」 




綱手様の強張った声が、私を現実に引き戻す。

固い物言いにハッと驚き、思わず視線を合わせた。

初めて目にする綱手様の険しい顔付き。

ゾワゾワ・・・と冷たく不快なものが、背筋をゆっくりと這い上がってくる。



そんな・・・ まさか・・・



藁にも縋る思いで必死に手を合わせ、ガタガタと震えながら治療の成功を神に祈った。



こんな事があっていい筈がない・・・

先生が・・・ カカシ先生がやられるなんて、そんな事絶対にある訳がない・・・

師匠が何とかしてくれる・・・ 絶対に綱手師匠が先生を助けてくれる筈だ・・・




「くそっ!ずいぶん厄介な場所に・・・。なんだい、このおかしな術は!」

「師匠・・・、カカシ先生は・・・」

「脳の一番奥深い処・・・、自意識の下層領域辺りで何らかの術が働いている。どうやら、これのせいで昏睡麻痺に陥ってるらしいな」

「そんな処・・・一体どうやって・・・」

「腕の傷の中に、毒で爛れた箇所が幾つか見受けられる。おそらく、毒で動きが鈍った一瞬の隙を突いて、何らかの術を仕掛けたんだろうが・・・」

「・・・・・・」

「かなりの手練の仕業だね。写輪眼でも見切れなかったか」

「・・・先・・・生・・・」

「・・・困った事に、本人が昏睡しているから、知覚神経や運動神経はおろか自律神経の麻痺も、自分ではどうする事も出来やしない」

「・・・つまり、自発呼吸一つ、満足に出来ない状態なんですね・・・」

「ああそうだ。・・・で、神経全部が麻痺しちゃってるから、更に自力では昏睡状態から抜け出せないときた。とんでもない堂々巡りだ」

「そんな・・・それじゃカカシ先生は・・・」

「とりあえず中枢神経の麻痺は強制的に回復させた。これで当分、最低限の生命維持活動は出来るだろう。だが・・・」

「・・・だが・・・?」

「あくまで一時凌ぎに過ぎない。このまま昏睡し続けたら、いずれ・・・」

――!じゃあ、今すぐその術を解いてください!師匠なら出来ますよね!?」

「すぐには無理だ。場所が場所だ。手荒な事は出来ない」

「え・・・」

「その上、ご丁寧に結界まで張ってやがる。これを破るには相当時間が掛かる」

「そ、そんな・・・。じゃ、じゃあ電気ショックでも何でも、とにかく刺激を与えて先生を覚醒させれば・・・!」

「知覚神経がいかれちまってんだよ?雷に打たれようが、このアタシにぶん殴られようが、なーんにも感じやしないさ」

「あ・・・あぁ・・・」




どうして・・・。どうしてこんな事に・・・。




『絶対にお前を守るから』って、先生は私に約束してくれた。

そしてその言葉通りに、先生はその約束を何度も何度も果たしてくれた。

私は先生の傍にいるだけで安心できた。

どんなに敵に囲まれようとも、カカシ先生と一緒なら大丈夫だって安心できた。



なのに私は、カカシ先生のこんなすぐ傍についていながら、何一つ出来やしないんだ。

先生の身を守る事が、私の役目だった筈なのに。

泣いて叫んで取り縋って・・・、我を忘れて取り乱していただけだ。

何のために私は・・・。

一体何のために、医忍を名乗っているんだ・・・!





―― カカシ先生が私の事をいつも守ってくれるでしょう?なら、私も同じくらいに先生の事をいろいろ守りたいなーって ――

―― オレとサクラじゃさー、オレが守ってばかりじゃない?どう見ても ――





本当にそうだね。

私、いつも守られてばかり。

ごめんね、ごめんなさい。

私から約束しておいて、全然約束守れなくて・・・。

本当に、本当に、ごめんなさい・・・。





「師匠・・・」

「なんだ?」

「私、しばらく・・・、カカシ先生の病室についていても、いいですか・・・?」

「ああ・・・。好きにするがいいさ」

「ありがとうございます・・・」













そして、一週間以上――

カカシ先生はずっと眠り続けていた。













綱手様の処置のお陰で、先生の容態は比較的落ち着いていた。

まだまだ微弱だけれども、呼吸も脈も安定している。でも、まだ油断は出来ない。いつ急変するか分からない。

私は先生の枕元で、微動だにしない真っ白な顔を一日中ずっと眺め続けていた。



「・・・・・・」



新米の私に出来る事なんて高が知れている。

本当は、私がいてもいなくても、何ら変わりはないだろう。

でも・・・。

先生を一人ぼっちにさせたくなかった。

きっと今頃カカシ先生は、深い闇の中で一人っきりで闘っている。

たとえ先生が憶えていなくても、私も一緒に闘いたかった。

それが、先生をこんな目に遭わせてしまった私に出来る唯一の償いなんだと思った。



「先生・・・、絶対に負けないで・・・」



元より細い顎が、更に鋭く尖って見える。

頬の肉も削ぎ落としたように消えて無くなり、色味を失った顔はまるで精巧に作られた蝋人形のようだった。

ひょっとしてこれはカカシ先生の人形なのでは・・・と、時折り奇妙な錯覚に陥る。

その都度、そっと顔や身体に手を伸ばして、その弾力を確かめた。



一体どんな術を掛けられたんだろう・・・。



忍術も幻術も、術者の数だけバリエーションが広がる。

カカシ先生の場合、写輪眼の副作用も複雑に絡んでくるから、その点も考慮しなければならない。

数年前、先生がサスケくんのお兄さんに襲われた時の、あの時の悪夢がふと頭の中をよぎった。

あの時、先生もサスケくんも昏々と眠り続け、私がどんなに呼びかけようとも、二人とも一向に目を覚まそうとしなかった。

もしかして一生このまま・・・という恐怖と絶望に苛まされて苦しんでいた時、綱手様が目の前に現れた。

あまりに鮮やかだった綱手様の手捌き。

あれから綱手様は、私の一生の目標となった。

綱手様に治せないものなどありはしない。

そう、固く信じてやまなかった。

なのに・・・。



「カカシ先生・・・」



点滴のチューブが繋がれた腕に、そっと触れてみた。

冷たい・・・。

剥き出しのまま毛布の上にさらされているせいか、氷のように冷え切っていた。



「可哀想・・・、これじゃ寒いよね」



両手を腕にそっと当てて、経絡系に少しずつチャクラの熱を流し入れる。

静寂な部屋に、ブゥゥーン・・・とチャクラのうねる音が低く響いた。

身体に負担のないように、少しずつ少しずつ・・・。

先生の顔色を注意深く窺いながら、慎重にチャクラの量を調節する。


ブゥゥーン・・・


こんな事をしても、ただの気休めだと分かっている。

今のカカシ先生は、寒さも暖かさも、何も感じ取る事は出来ないのだから。

でも、何かしないではいられなかった。

負けないでほしかった。諦めないでほしかった。

私も一緒に闘うから、先生を苦しめている術に絶対に打ち勝ってほしかった。



ほんのりと腕が温まる。



「よーし・・・」



今度は握手をするように先生の手の平をギュッと握り締め、さっきよりも大量のチャクラを一気に流し込んだ。


ドク・・・ドク・・・ドク・・・ドク・・・


私の手の平から、カカシ先生の手の平へ。

熱に変わってどんどん流れろ・・・!


ドク・・・ドク・・・ドク・・・ドク・・・


手の平の熱が増すたびに、身体はどんどんと寒くなる。

体温が急激に下がって身体中にザワザワと鳥肌が立ち、歯の根が合わずにガチガチと煩く鳴り始めた。


ドク・・・ドク・・・ドク・・・ドク・・・


それでもチャクラの放出を続けた。どうしても止めたくなかった。

カカシ先生の真っ白だった顔に、少しだけ赤みが差す。



「こ・・・れで・・・少し・・・は・・・、温ま・・・った・・・かな・・・?」



寒い・・・。

凍り付きそうなほど寒くて仕方がない。

ブルブルと身体が大きく震える。じっと立っている事も儘ならない。

引っ切り無しに悪寒に襲われ、頭がクラクラとして気が遠くなりかけた。

でも、こんなの平気だ。

寒さを感じられる私は幸せなんだから。


ドク・・・ドク・・・ドク・・・ドク・・・


今の私に出来る事は、これくらいしかない。

残念だけど、カカシ先生を目覚めさせる技なんて到底持ち合わせていない。

でも、せめて今くらいは、氷のように凍える先生の身体を私の力で温めてあげたい。

だって、あの日、私はカカシ先生と約束したんだ。

私は私のやり方で、大切な人を守ってあげるんだって。

だから・・・だから、私は――







それから毎日、私はカカシ先生に熱を分け与え続けた。

寝る間も、食事を摂る間も惜しんで、ひたすら私の熱を送り続けた。

それは最早、祈りに近かった。

永い冬眠からの目覚めを待つ春待ち人のように、ひたすら祈りを捧げ続けた。